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〆切2016.1.2



W・ユージン・スミス

フォト・ジャーナリスト 報道写真家
ワタシが惹き付けられる職業

技術と感性があったならば その世界に飛び込みたい 
人に訴えかける 写真の持つ 計り知れないそのチカラ
それを まざまざと見せつけられて 言葉を失う


W・ユージン・スミス ユージン・スミスは、世界の戦争の悲劇・社会の
 不平等・権力の腐敗、そして精神の尊厳といった
 人間の内面をカメラで鋭く記録した写真家。

 ライフ誌を中心に作品を発表を続け、1972年
 シリーズとして「水俣」をテーマに取り組み始める。
 それには再婚した妻アイリーンの影響がありました。
 彼の撮った水俣の写真は世界各国の雑誌に発表され、
 多くの出版で大反響を呼ぶ。 当時の日本は水俣病の
 告発や告訴がままならない状況の中、水俣に住んで
 撮った彼の写真はその真実を訴えるのに充分であり、
 国内外に大きな影響
を与えた。
 今回の特別展は京都国立近代美術館が共催者として
 全面的に協力。今年はユージン・スミス没後30年。


 「W・ユージン・スミスの写真」
 2008年9月20日(土)~10月13日(月・祝)
 月曜日休館(ただし10/13は開館)
 9:30~16:30(17時閉館)
 フェルケール博物館 http://www.suzuyo.co.jp/suzuyo/verkehr/ 
 静岡市清水区 105点展示

W・ユージン・スミス 去る9/28(日)フェルケール博物館にて
 アイリーン・美緒子・スミス氏 の特別講演会が行われた。
 演題「ユージン・スミスと私」

 会場は予約ですでに満員。清水のお知り合いのKさん、
 Tさん、Aさん他顔なじみの方々もご参加。
 アイリーンさんによる彼との出会いからのお話が始まる。
 一番前を陣取り、気合いの入っていた私・・・
 だが、前日の焼津同盟で睡眠時間2時間。朝の目覚めは最高
 だったのだけれど、午後の昼下がりシエスタtime
 心地よい眠りに誘われ、講演の1/3は夢心地。お恥ずかし。
彼女には気がつかれなかったのか、フレンドリーで温かく優しく大きな笑顔で写真集にサインして
くださった。アイリーンさん、どうもありがとう♪
フェルケールの御担当者さま、素晴らしい企画をありがとうございます。

『京都新聞』2004/10/16付朝刊 抜粋
 「見出し:「関西水俣病訴訟・原告側勝訴確定 「問題根深い、悲しみ消えない」 
 元妻アイリーンさん 惨状を伝えた亡夫が撮影の写真、非公開に
水俣病を世界に伝えた米国人写真家故ユージン・スミスの元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(五四)=京都市左京区=は十五日、判決を最高裁の法廷で聞いた。「真しに反省をしない国の態度は恥ずべき。まだ救済されていない患者も多く、闘いはこれからも続く」と力を込めた。
水俣病の悲惨さを象徴するユージンさんの写真「入浴する智子と母」をアイリーンさんが非公開にして六年がたつ。
1971年、水俣市に住んだスミス夫妻は当時十五歳の上村智子さんと母良子さん(七〇)の姿を撮影。写真は「被害を伝えたい」という両者の思いから生まれた。国内外の雑誌や写真集に掲載、学校の教科書にも使われるなど、公害を象徴する写真となった。
智子さんは生まれつきの重度の水俣病で、成人式では晴れ着姿で父に抱かれた。その翌年の七七年にこの世を去った。
アイリーンさんが非公開にしたのは、98年に智子さんの父好男さんから「もう休ませてやりたい」と聞かされたのがきっかけだった。
好男さんは「写真がいたるところで使われ、ビラや広告の一部のような気がした。裸姿が痛々しかった。やっとうちに帰ってきたね、という思いですかね。智子は家族全員の毒を持って行ってくれた『宝子』です」と静かに語る。
撮影から三十三年。京都で暮らすアイリーンさんは「これからも『見られない写真がある』という事実で、水俣を伝えることはできる。一つの区切りを迎えるまで要した歳月の長さは、水俣病が抱える問題の根深さそのもの。最高裁裁判決が終わっても悲しみは消えない」と語った。

『水俣病公式発見から五〇年――宝子を想う』原田 正純 
水俣高校で社会科の先生がユージンの智子の写真を見せて「環境を汚染するとこのような子どもが生まれる」と解説した。在校していた妹は手を挙げて「それは姉です。姉をそんな風に言わないでください」と涙ながらに抗議した。この教諭はその後、教育について深く考えさせられ、反省し真剣に障害と差別や人権と取り組むようになったと告白。  また、過剰なマスコミの取材の中、母親は東京交渉から帰ってきて智子を抱きしめながら「この子を見た多くの日本の人たちが、ああ、やっぱり、環境は汚してならない。怖いことが起こると、思ってくれたと思う。それで日本の環境が少しでもよくなって、会社や工場や政府の偉か人が、今から気をつけてくれるようになるなら、このような子ですけど、少しは世の中のお役にたったことになります。東京に行ってよかったと思います。やはり、この子は宝子ですたい」といかにもさらっと言った。いのちに”生きるべきいのち”と”生きる価値のないいのち”などあろうはずがない。  この母親の言葉はとくに医療、福祉、教育の原点、いのちの価値を考えさせられるものでこれこそ、水俣からのメッセージである。



「水俣」を繰り返そうというのだろうか。
青森・六ヶ所村の使用済み核燃料の再処理施設が稼働し、海と空に放射能が撒かれようとしている。
環境にもヒトにも生きものにも、ダメージが加えられる。
経済のため、過度に贅となるの暮らしのため、それを進める必要はあるのだろうか。
再び過ちを繰り返し、多くを傷つけたあと省みる。その前に今、勇断を。
_______________________________________________________________________________

六ヶ所村通信№4」上映会のお知らせ in 島田のチャールストン

映画・六ヶ所村ラプソディー公開後、再処理工場をめぐって動き出した人たちを追った
ドキュメンタリー。いま何が起ころうとしているのか、どこにどんな真実があるのか・・
自分たちひとりひとりの問題として考えるきっかけにしていただきたいと思います。
  2008年10月10日(金)
  18:30開場
  19:00~19:15 六ヶ所村再処理工場や、これまでの経過などのお話。
  19:30頃~上映開始(1時間15分)
  参加費:800円(1ドリンク付き) 定員:25名
  会場:チャールストン(静岡県島田市東町833-2)
  上記ブログ内「オーナーにメッセージ」or TEL 0547-37-1213(営業時間内)へ。
_______________________________________________________________________________
まず、事実を知ってください。
魚を食する私たち。
身体の中に放射能が蓄積されてゆくとしても無関心でいられますか? 



以下、W. ユージン・スミスの紹介 引用文

W. ユージン・スミス 報道写真家
カンザス州ウィチタに生まれ、15歳で雑誌に写真が掲載されるなど早くからその才能を開花させ、18歳になった1937年にプロの写真家を目指してニューヨークへ。写真を中心に据えた報道週刊誌『ニューズウイーク』(1933創刊)や『ライフ』(1936創刊)などが爆発的に部数を伸ばし、グラフ雑誌とフォト・ジャーナリズムという新しいメディア・スタイルが登場し隆盛へと向かった時代。写真家W・ユージン・スミスの軌跡と業績は、フォト・ジャーナリズムの歴史と重ね合わせて評価され検証されてきました。現代にまで続くスミスへの高い評価とほぼ等量の批判は、彼が写真家として貫き通したその主観的制作態度に起因する必然かもしれません。
従軍したサイパン、硫黄島、沖縄の最前線で戦場の現実に直面したスミスは、人間の尊厳に対する疑問と同時に、「私はカメラの向こう側にいたかもしれない」という、報道写真家としてはタブーともいえる根源的な問いを受け入れてしまったと言えます。戦争での体験からスミスは、「カメラ=中立的な視線」、「ジャーナリズム=客観的」という近代写真とフォト・ジャーナリズムをめぐる神話的言説に対して強い疑念を抱くようになります。第二次大戦後のスミスは、「決定的瞬間」的な撮影態度から決別し、過剰とも思える時間と労力を費やしながら緻密な取材を重ね、主題や対象の本質に迫る、時にはそれを超えた普遍性を追求するかのような優れたフォト・エッセイを数多く制作し、グラフ雑誌に発表しました。
彼が目指したものは、視覚的現実よりも「真実」により迫る写真、観る者に強く訴えかける、真実を象徴的に明示できるイコンとしての写真でした。近年の研究により、スミスが古典絵画の構図や明暗対比を巧みに取り入れていたこと、暗室で多重焼付や大胆なトリミングを駆使していたことが明らかになっています。記録性や客観性をドグマとするドキュメンタリー・フォトグラフィーの世界に止まりながらも、スミスは主観にもとづく創作姿勢と方法論を貫き続けました。この態度は写真家W・ユージン・スミスの自己矛盾として批判されてきましたが、現代の私たちはそこにスミスの、近代の写真とドキュメンタリーに対する個人レベルでの批評的営みを、写真家を超えた表現者を目指した一人の写真家の挑戦と葛藤を読み取ることができます。
2008年の時点でアイリーン・コレクションの収蔵・登録はようやく全体の半ばを過ぎたところですが、没後30年にあたる今年、このコレクションを「アイリーン・スミス・コレクション」として一般に公開し、彼が写真に託してきた理想と、表現としての写真の可能性の一局面をあらためて検証する意義は大きいと考えます。今回の展覧会は170点の写真によって、W・ユージン・スミスの全体像を紹介します。
没後30年 W・ユージン・スミスの写真 京都国立近代美術館
http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2008/367.html

表現方法
ユージン・スミスの写真の特徴は、「真っ暗闇のような黒とまっさらな白」のメリハリである。(「ユージン・スミス写真集一九三四-一九七五」より) そのメリハリは、妥協を知らない徹底した暗室作業によって作り出された。
それに加えてユージン・スミスは、トリミングを駆使して被写体を強調した。
ドキュメント・フォトを信奉する写真家や、それを無意識に期待する読者にとっては、ユージン・スミスの「漂白・重ね焼き・トリミング」を駆使した写真はジャーナリスティックとはいいがたい。
たとえば、ハイチで撮影された「狂気」は、ズームアップした顔(狂気の表情)以外は真っ黒という作品だが、ストレートな焼付けにはボンヤリと背景が映っている。シュヴァイツァー博士の1枚は手と鋸の影が重ね焼きされた。スペインの村の写真では“役者”を雇い、思うように配置して撮った。
ユージン・スミスの写真を「ウソ」「演出」と切って捨てる声もあるが、そもそもユージン・スミスは、リアリズム(写実主義)を排除していた。(写真集『水俣』英語版の序文)
「これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取りのぞきたい言葉は『客観的』という言葉だ。そうすれば、出版の『自由』は真実に大きく近づくことになるだろう。そしてたぶん『自由』は取りのぞくべき二番目の言葉だ。この二つの歪曲から解き放たれたジャーナリスト写真家が、そのほんものの責任に取りかかることができる」
「ジャーナリズムにおける私の責任はふたつあるというのが私の信念だ。第一の責任は私の写す人たちにたいするもの。第二の責任は読者にたいするもの。このふたつの責任を果たせば自動的に雑誌への責任を果たすことになると私は信じている」
そして、ユージン・スミスのメモには次のような言葉がある。(ユージン・スミス写真集一九三四-一九七五)
「写真は見たままの現実を写しとるものだと信じられているが、そうした私たちの信念につけ込んで写真は平気でウソをつくということに気づかねばならない」
いまでは多くの人が「メディア・リテラシー」に注意を払うが、ユージン・スミスは、当時から確信犯として作品を創作した。ユージン・スミスは従来のプロカメラマンとしては常識破りなほど、調査・撮影・焼付けに時間をかけた。調査といっても、被写体と寝食をともにしながら、その本質をつかんでイメージを広げて表現した。



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2008年10月06日 Posted byゆいまーる at 18:27 │Comments(8)art

この記事へのコメント
ウーム、長文ですね。でも一気に読ませていただきました。
引用も才能の一つですからね。
8日に行くことに決めました。
六ヶ所村はまた別にしておいたほうが・・・と思いました。
Posted by クールなお at 2008年10月06日 19:21
長文おつき合いありがとうございます。感謝です。
・・それにしても文字数が多かったですねぇ。削れませんでした。
コメントまで辿り着けない。(笑)

ご助言をありがとうございます!
頻繁にブログ更新しないワタクシ。。
ひとつの記事に詰め込んでしまう悲しい性。
取り外して翌日に持ってくれば・・ですね。
Posted by ゆいまーるゆいまーる at 2008年10月07日 03:47
とっても興味ある情報ありがとう!
(2つとも)
勉強しなきゃわからない事がおおいからなあ〜
まだ全部読み切れてないのでボチボチお読みまする〜(笑)
Posted by kana★kana★ at 2008年10月07日 10:58
必要なかたに伝わって、嬉しく思います♪

長文申し訳なしです。
嫌がらせではありません。(苦笑)
余裕のある時にボチボチと読破戴ければ幸いでございます。
Posted by ゆいまーるゆいまーる at 2008年10月07日 16:28
ユージン・スミス、どこかで聞いた事がある写真家だと思ったら水俣を撮っていたんですね。
それも没後30年だなんて、亡くなられてもうそんなになる人だとは知りませんでした。水俣も小学生の頃に公害の勉強をして知った時は衝撃的でした。
あれから何十年も経って今度は中国で様々な健康被害が出ていたり、食品への化学物質混入など、日本の問題が全く活かされていなかったことは非常に残念ですね。
ユージン・スミスさんの本、探してみようと思います。
Posted by BEM at 2008年10月08日 09:39
 上記の 「なおさま」「 kana★さま」 より戴いたお返事に
 宛名を入れ忘れておりました。失礼しました。


BEMさ〜ん

毎度ありがとうございます。まぁまぁお茶でもあがってください。(笑)

私も没後30年も経つとは思いもよりませんでした。
教訓は活かされず、世界のどこかで繰り返される。
水俣を調べると、企業はホントとんでもないことをしているなあと。。
ユージン・スミス氏もエライ目に合われています。
また、国も目を光らせることをしないばかりか・・・ ふうぅっ
市民一人ひとりが声を出さないと変わってゆきませんね。
Posted by ゆいまーるゆいまーる at 2008年10月09日 05:43
ゆいまーるさんこんにちは。

今日午後10時から「美の巨人たち」という番組でユージン・スミスさんを紹介していましたね。テレビ欄には名前が掲載されていなかったので、どんな内容かわかりませんでした。
チャンネルを替えていて気付いたので後半の15分弱しか見られず残念でしたが、この展覧会用ポスターの写真の解説を聞けました。写真の二人の子はユージン・スミスさんのお子さんだったんですね。
ゆいまーるさんのブログを読んでなかったらそのままチャンネルを変えていたと思うと不思議な気持ちです。
Posted by BEM at 2008年10月11日 23:50
BEMさま

残念!薪能へ出かけたきり、まだ帰宅しておりませんでした。
それ以前に、TVをあまり観ないので(TV欄も)つゆ知らず。。

『美の巨人たち』http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/index.html
練られた番組のようですね!これからはチェックするようにします。
(といいつつ、『美の壺』や『日曜美術館』も毎回見逃し三振・・)
番組内にて「フェルケールで会期中」と紹介があったのでしょうか?

BEMさんとユージン氏を繋ぐことが出来て幸せです♪



みなさま

清水での展覧会は今日明日で終了です。
ご興味を持たれたならば、お出かけくださいね♪
Posted by ゆいまーるゆいまーる at 2008年10月12日 06:50
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