『いのちの食べかた』あと2日!

映画『いのちの食べかた』
[原題] OUR DAILY BREAD [監督] ニコラウス・ゲイハルター
[脚本] ウォルフガング・ヴィダーホーファー/ニコラウス・ゲイハルター エスパース・サロウ
2005年ドイツ・オーストリア 92分
6/20(金)まで上映 上映時間 11:55〜 15:40〜 19:25〜
会場: シネ・ギャラリー(サールナートホール3F)静岡松坂屋 東駐車場隣
私たち日本人が1年間に食べるお肉(牛・豚・鳥)は約300万トン。だれもが毎日のように食べている膨大な量のお肉。でも、そもそもお肉になる家畜は、どこで生まれ、どのように育てられ、どうやってパックに詰められてお店に並ぶのでしょう?本作は、そんな私たちの生とは切り離せない「食物」を産み出している現場の数々を描いたドキュメンタリー。世界中の人の食を担うため、野菜や果物だけでなく、家畜や魚でさえも大規模な機械化によって生産・管理せざるをえない現代社会の実情を、オーストリアのニコラウス・ゲイハルター監督がおよそ2年間をかけて取材・撮影。
現代の食料生産工場の生産性の高さに驚愕するとともに、私たちが生きることは他の動物たちの生命を「いただく」ことに他ならないことだと、改めて実感。なかなか見ることのできない、現代のさまざまな食品生産現場を、美しい映像で淡々と切り取っていく。
これからお出かけのかたにアドバイス
①「映画をもっと面白く見るための鑑賞のしおり」をご覧になってからどうぞ。
②ナレーション・音楽が無いので、お疲れさん&睡眠不足の方は眠ってしまいます。(笑)
充分に休息をとってからお出かけください。
③ショッキングなシーンもあります。しかし、この世界で毎日淡々と行われている現実です。
(想像されているよりグロくありません。絵的に問題なしです。どうかご覧ください。)
④最終日20日(金)20:00~ 伊太利亭にて(チケット取扱い有)
映画を観るだけに終わらせないよう、アフタートークを設けるそうです。
私たちは生きるために、毎日いのちを戴かねばなりません。
「生きること」と「いのち」に目を背けず、向き合ってみませんか?
すべては「知ること」から始まる。

『いのちの食べかた』 (よりみちパン!セ)
森 達也 著 理論社 (2004/12) ¥ 1,050
映画と同タイトルですが、原作ではありません。
「よりみちパン!セ」シリーズは中学生以上全ての人向け
以下、監督インタビューより抜粋
ナレーションが一切ない
先に実際の勤務環境を見せ、その後で何かを想像させるために必要な「間」を持たせようしています。観客にはただこの世界に飛び込んで、自分なりの受け止め方をしてほしいと思います。
ショッキングなシーンもありますが、それについてどう思われますか?
この作品では出来るだけ客観的な視線で物事を捉えたかったのです。僕が特に興味を持つのは、「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います。そこでは、植物や動物も製品同様に扱われ、産業として機能させていくことが、非常に重要になっています。一番重要なことは、いかに効率よく、低コストで、動物が生み育てられ、数を保たれているかであり、新鮮で傷が付いていない状態で食肉処理場に届けられるための取り扱い方や、肉に含まれる薬品の使用量、ストレスホルモンの量が合法基準値より低いレベルに保たれているか、ということなのです。誰も自分が幸せかどうかなんて考えてはいません。それをスキャンダラスと言うなら、もう少し深く考えてみるべきで、僕たちの暮らし方もスキャンダラスということになります。この経済的に豊かで、情け容赦ない効率化は、僕たちの社会とも密接に関わっています。「有機栽培の製品を買い、もっとお肉の量を控えなさい!」というのは間違いではありません。でも、同時にそれは矛盾していると思います。誰もが皆、機械化に頼って国際化した産業の恩恵を受けています。そして、これは食べ物の世界に限ったことではありません。
僕の作品は、ある意味でアーカイブ素材のように思っています。人々が50年か100年後に見たら、「あの頃、もうすでにあんな風にやっていたのか」、「まだそんなことをやっていたんだ」などと思うでしょう。そうやって何かが始まったり、終わりを迎えたりするわけです。原則的には出来る限り時代を選ばない作品にしようと思っています。この作品の場合は特にそう言えると思います。
先に実際の勤務環境を見せ、その後で何かを想像させるために必要な「間」を持たせようしています。観客にはただこの世界に飛び込んで、自分なりの受け止め方をしてほしいと思います。
ショッキングなシーンもありますが、それについてどう思われますか?
この作品では出来るだけ客観的な視線で物事を捉えたかったのです。僕が特に興味を持つのは、「なんでもかんでも機械で出来る」という感覚や、そういった機械を発明しようという精神、それを後押しする組織です。それは、とても怖い感覚で、無神経でもあると思います。そこでは、植物や動物も製品同様に扱われ、産業として機能させていくことが、非常に重要になっています。一番重要なことは、いかに効率よく、低コストで、動物が生み育てられ、数を保たれているかであり、新鮮で傷が付いていない状態で食肉処理場に届けられるための取り扱い方や、肉に含まれる薬品の使用量、ストレスホルモンの量が合法基準値より低いレベルに保たれているか、ということなのです。誰も自分が幸せかどうかなんて考えてはいません。それをスキャンダラスと言うなら、もう少し深く考えてみるべきで、僕たちの暮らし方もスキャンダラスということになります。この経済的に豊かで、情け容赦ない効率化は、僕たちの社会とも密接に関わっています。「有機栽培の製品を買い、もっとお肉の量を控えなさい!」というのは間違いではありません。でも、同時にそれは矛盾していると思います。誰もが皆、機械化に頼って国際化した産業の恩恵を受けています。そして、これは食べ物の世界に限ったことではありません。
僕の作品は、ある意味でアーカイブ素材のように思っています。人々が50年か100年後に見たら、「あの頃、もうすでにあんな風にやっていたのか」、「まだそんなことをやっていたんだ」などと思うでしょう。そうやって何かが始まったり、終わりを迎えたりするわけです。原則的には出来る限り時代を選ばない作品にしようと思っています。この作品の場合は特にそう言えると思います。
2008年06月18日 Posted byゆいまーる at 11:58 │Comments(5) │からだ
この記事へのコメント
初めて書き込みをさせていただきます。
私もこの映画を見てきました。食事をするという行為を罪と思う事もありました。本当に大切な命を頂いている。だからこそ手を合わせて「いただきます。どちそうさま」、残さずに完食する。最低限私達ができる行為ですね。
私もこの映画を見てきました。食事をするという行為を罪と思う事もありました。本当に大切な命を頂いている。だからこそ手を合わせて「いただきます。どちそうさま」、残さずに完食する。最低限私達ができる行為ですね。
Posted by 晃ちゃん祐ちゃん父さん at 2008年06月18日 12:23
いろんな情報から「いのちの食べかた」を見てみたいなと思っていましたが、やっぱりきたか~ゆいまーる!
命をいただきます、いただいた「命」を、いかすのには
どのように、私たちは生きたらいいのだろうか。
命を奪われるものはそのことには何も思ってはいない。
しかし、感謝の気持ちを持ってほしいとは思っている。
いただいた命を活かす生き方とは、
神の心を生きるとは、地球が悲しまない生活とは
宇宙が許す生き方とは、小さな命とともに
めぐる環、和、輪の中でともに暮らす生き方とは
そんななかで僕たちだけが命を「利用」する
ってないんじゃないかなぁと思っていますが。
こんなことはコメントじゃなくあって話しましょう。
命をいただきます、いただいた「命」を、いかすのには
どのように、私たちは生きたらいいのだろうか。
命を奪われるものはそのことには何も思ってはいない。
しかし、感謝の気持ちを持ってほしいとは思っている。
いただいた命を活かす生き方とは、
神の心を生きるとは、地球が悲しまない生活とは
宇宙が許す生き方とは、小さな命とともに
めぐる環、和、輪の中でともに暮らす生き方とは
そんななかで僕たちだけが命を「利用」する
ってないんじゃないかなぁと思っていますが。
こんなことはコメントじゃなくあって話しましょう。
Posted by クールなお at 2008年06月18日 20:22
晃ちゃん祐ちゃん父さんさま
ようこそおいでくださいました。
日本人の食べ残しの多さに驚きますね。お天道さまから罰が当たりますよね。
戴くいのちに感謝すること、毎食ごとに欠かさずですね!
なおさま
ブログ上でのコメントの返答、言葉を選びます。(悩)
生き物は誰も「食べられたい」とは思っていないと思うのです。「生きたい」ですよね。
苦しい思いもしたくありません。
ココロを持っています。
同じ食べられるにしても、生きている間はそれを尊重したい。
辛いいのちが身体に入ったら、その記憶を細胞が受け取り、身体の一部と成ると思うのです。
ベジタリアンだって植物のいのちを戴いています。
どんないのちでも、粗末にしていい、いのちはありません。
個々がそれに向き合って欲しい。
閉じた室内でギュウギュウ詰めの鶏やヒヨコたちが都市に暮らすヒトビトに見えてくるのは私だけ?
ようこそおいでくださいました。
日本人の食べ残しの多さに驚きますね。お天道さまから罰が当たりますよね。
戴くいのちに感謝すること、毎食ごとに欠かさずですね!
なおさま
ブログ上でのコメントの返答、言葉を選びます。(悩)
生き物は誰も「食べられたい」とは思っていないと思うのです。「生きたい」ですよね。
苦しい思いもしたくありません。
ココロを持っています。
同じ食べられるにしても、生きている間はそれを尊重したい。
辛いいのちが身体に入ったら、その記憶を細胞が受け取り、身体の一部と成ると思うのです。
ベジタリアンだって植物のいのちを戴いています。
どんないのちでも、粗末にしていい、いのちはありません。
個々がそれに向き合って欲しい。
閉じた室内でギュウギュウ詰めの鶏やヒヨコたちが都市に暮らすヒトビトに見えてくるのは私だけ?
Posted by ゆいまーる
at 2008年06月19日 04:08

昨日、見てきました。。。
スロスタの杉山さんから、二カ所意味を知らないと「何故?」って疑問におもうから・・・って前もって、訳を聞いておいた場面がありました。その場面はとても辛かった・・でも、映像の中の人々はどの場面でも淡々としていて・・・・
心に残る映画だった。。残さないといけないんです。。。
命あるのもから、命を頂くのだから、心に留めておかなければいけないですね。そこで働く人々と全てのものに感謝します。。
スロスタの杉山さんから、二カ所意味を知らないと「何故?」って疑問におもうから・・・って前もって、訳を聞いておいた場面がありました。その場面はとても辛かった・・でも、映像の中の人々はどの場面でも淡々としていて・・・・
心に残る映画だった。。残さないといけないんです。。。
命あるのもから、命を頂くのだから、心に留めておかなければいけないですね。そこで働く人々と全てのものに感謝します。。
Posted by キカラ at 2008年06月19日 06:42
キカラさま
働くヒトの「作業と食事」で、どちらも同じように淡々と時間が流れているのが
印象に残りました。
仕事の合間の食事、おしゃべりも無いサンドイッチ個食は、きっといつもの風景
なのでしょう。楽しい時間であるはずの食事が、感情を入れることなしに機械的に
行われている、仕事の一部と化しているようです。
ヒトが忌み嫌う仕事の数々、誰かがしなくてはなりません。
一般のヒトの目から遠ざけられている日本(?)、「いのちの食べかた」をチャンス
をつくって観て知って戴きたいですね。
働くヒトの「作業と食事」で、どちらも同じように淡々と時間が流れているのが
印象に残りました。
仕事の合間の食事、おしゃべりも無いサンドイッチ個食は、きっといつもの風景
なのでしょう。楽しい時間であるはずの食事が、感情を入れることなしに機械的に
行われている、仕事の一部と化しているようです。
ヒトが忌み嫌う仕事の数々、誰かがしなくてはなりません。
一般のヒトの目から遠ざけられている日本(?)、「いのちの食べかた」をチャンス
をつくって観て知って戴きたいですね。
Posted by ゆいまーる at 2008年06月20日 04:32